前回のブログの続きになりますが
言語が混乱の始まりかもしれないと思うのは、
木と比べるからである。
木工をしているので、いつもいろんな事を木と比べることにしている。
例えば木はしゃべらない。歩かない。長生きである。
西暦2018年と言っても、4000歳の屋久杉からしたら半人前である。
以前聞いた話だが、言語学者が世界で通じる言語を考え、広めたらしい、だが、今使われていない。
世界平和を訴える人は多いが、常に何処かで戦争中だ。
この世は矛盾している。
言葉にせず、それをありのままに感じるとしたら、
矛盾こそ存在。存在することは矛盾することとなる。
僕の見つけたこの世の法則は、
イメージが大切。時差で実体化する。
しかし、思うようにはいかない。反対の力も発生する。
というものだ。
願いは叶うが、代償がある。
平和を叫ぶと争いが起きる?
これらの現象はある程度の循環があることを証明していると考えます。ある程度の範囲があって、そのなかでグルグル生活している?感じがする。因果。帰ってくる。無限の空間には居ない。限界は近い所にある。
古い宗教遺跡を見ると渦巻き文様がある。
今自分が感じてる事を絵にするとグルグルだ。
言葉にすると矛盾だらけで、反対の事ばかり注釈入れなければいけない。
答えの無い話?とりとめのない話?
でもみんな、こんな事、口にしなくても、考えてないですか?
僕はどこでなにしてる?どっちへむかうといいんだ?
これって迷子じゃん!